想像のアメリカ(粟谷佳司)

 Twilight Set(http://twitter.com/Twilight_Set)というバンドのシングルを購入。バンドの雰囲気やスティールギターの音色がすばらしい。ギターはヴィーナスペーターの石田氏のバンドでもギターを担当していたとのこと。お酒を飲みながらゆっくりライブを見たいと思わせるバンド。


Twilight Set Desert Song

 Twilight SetのHPの「アメリカ人によらないアメリカ的な音楽」というところは興味深い。そこで挙げられているザ・バンドはまさにカナダからの想像されたアメリカの音楽だった。

 想像されたアメリカ。そもそもアメリカは人工的な国家であり、それはカナダもそうである。そのために多文化主義という制度を必要とした。自由と民主主義も実験的な理念。それが戦後日本にやってきた。

 たとえばエルヴィス・プレスリーも、アメリカという人工国家のなかでどのようにアメリカのロック歌手になっていたのかというプロセスから捉えられる*1。現代では、カート・コバーンの殺伐とした「感じ」というのもアメリカ「っぽい」だろう。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドソニックユース、スティ−ブ・アルビニなどの金属的、人工的な感じはアメリカとオルタナティブを考えるときにキーになるだろう。
 アメリカは一方でカントリー、ウエスタンのような音楽、あるいはブルースのような土着のイメージの音楽が演奏される国である。かつてU2が、アメリカに行ってBBキングと共演したのは、彼らのなかに「ルーツ・ミュージック」を取り込もうという意図があったのではないかと思われる。このような複雑に記憶やイメージの絡まりあったアメリカという「空間」。そこでは音楽も興味深い現象を生み出しているのだ。

 アメリカを旅した思想家は多い。トックヴィルヴェーバーアドルノ…パサージュ論を書いたベンヤミンボードレールを読みながら高度資本主義社会として当時のフランスを分析したが、アメリカに行っていたらどんなものを書いていたか。
(粟谷佳司)(本稿は粟谷の次の著書の一部になる予定です)

*1:グリル・マーカスの論考など、それは枚挙に暇がない。