想像のアメリカその2(粟谷佳司)

 アメリカはカナダからのトランジットで立ち寄ったのだが、映画や音楽における表現文化から知るアメリカは、特に音楽では、ベルベット・アンダーグラウンドスティーブ・アルビニがプロデュースするノイズであるとか、初期VUをプロデュースしていたアンディ・ウォーホルの描く世界もつながってる、そういう加工された異質なものとしてのアメリカなのである。ここで、「加工craft」をプラスティックな「人工物」であると単純化するのではなく、人々の息吹も感じながら加工されていく過程としての世界と捉えたい*1大塚英志が指摘する、江藤淳がこだわっていた「つるっとしたもの」というような感覚的な表現に近いアメリ*2
 ここで、アメリカとカナダの関係から加工されるアメリカの側面を考えてみたい。
 テレビで放送された9.11のチャリティ番組で「ゴッド・ブレス・アメリカ」を歌うセリーヌ・ディオン。これはアメリカ国民に向けて歌われたものである。映画『タイタニック』で主題歌も歌っているディオンだが、しかし、彼女はもともとカナダのケベック州の出身なのである*3。ぼくが学んだIoan Davies先生のもとで学んだトロントのメディア学者、ジョディー・バーランド(ヨーク大学准教授)は、「私たちはアメリカにアーティストを輸出しアメリカから番組表を輸入する」とカナダの状況を分析していたが、アメリカはまさにこのような異邦のものまで自らのものにし、純化していく文化、政治の力学によって常に終わりなく働く機械のようである*4。それは、まるで白人が黒人からロックという音楽を盗む過程における軋轢を折衝、収斂しながら初期ロックンロールに節合していくダイナミズムのように。われわれは、かつてアドルノアメリカ文化に対して放った警告をもう一度問い直す必要があるのかもしれない*5
(粟谷佳司)(本稿は粟谷の次の著書の一部になる予定です)

Celine Dion - God Bless America (Tribute To Heroes)

*1:だからボードリヤールがすっきり分析してみせたシミュラークルであるとは必ずしもいえない「アメリカ」があるのだ。

*2:たとえば『ツイン・ピークス』のようなヴェルヴェットの肌触り。

*3:ちなみにジェームズ・キャメロンもカナダの出身。

*4:この機械についてはドゥルーズ=ガタリの議論を参照したいと考えているが、詳しくは稿を改めたい。

*5:アドルノについては拙著『音楽空間の社会学』を参照してほしい。