音源日記(粟谷佳司)

『DUB論』購入。ジュンク堂、京都BAL店。
 読みながら、Brian Eno,Another Green Worldを聴く。Enoもダブに強い関心を寄せていたし、それは音楽において実践されていた。
 レゲエ、ダブはパンク、ポストパンクにおいてさまざに影響を与えているが、それがなぜパンクだったのかというのは、クラッシュが大いに関係している。
 イギリスにおけるジャマイカからの移民の音楽であるレゲエ、ダブにクラッシュはノッティングヒルで出会っている。DJのドン・レッツもロキシーというクラブでレゲエをかけていた。その後、マイキー・ドレッドやジャマイカのレゲエのアーティストも世界進出のために彼らに協力したという経緯がある。このようにパンクというか当時のポップ音楽がレゲエを吸収する準備は出来ていたのである。
 クラッシュはカナダ・トロントに住んでいるウィリー・ウィリアムズの「アルマゲドン・タイム」をカバーして、グローバルに移動するレゲエを存在づけたのだった。ジャマイカのレゲエ・アーティストがなぜアメリカではなくトロントなのか、ここにも当時の状況が関連している*1
 ダブをポストパンクの文脈で聴くこと。ここから考えていきたい。そして、音楽のジャンルをサウンドの様式として捉えること、これも必要だ。 
(粟谷)(本稿は粟谷の次の著書の一部になる予定です)

*1:トロントにおけるレゲエシーンとその諸問題については、粟谷「カナダのブラック・ディアスポラ」『叢書グローバル・ディアスポラ ブラック・ディアスポラ明石書店(近刊)で分析している。