YMO 河原弘樹

 1978年にデビューしその後の音楽史に多大な影響を与えたイエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)と、ボーカロイドソフト「初音ミク」によって製作されたYMOのカバーアルバム「初音ミクオーケストラ(以下HMO)」と、ニコニコ動画にアップロードされているアニメ「けいおん!」の動画とYMOの音楽をマッシュアップさせた「ティータイム・マジック・オーケストラ(以下TMO)」をメディア文化理論から分析する。
 YMOは1978年〜1983年まで日本で活動していたテクノバンドで、シンセサイザーサウンドシーケンサーによる自動演奏といった、当時最先端のテクノロジーを導入した最初期のバンドである。元々は「マーティン・デニーのFirecrackerをシンセサイザーでカバーして世界で400万枚シングルを売る」というコンセプトで始まったバンドであった。膨大な数の機材を使用するライブや、奇抜な衣装や髪型、そしてその未来的な音楽センスで日本にテクノポップブームを巻き起こした。俳優の佐野史郎曰く「日本が海外に輸出できた文化はアニメとファミコンYMOだけ」らしい。
 YMOは1stアルバムでマーティン・デニーのFirecrackerをシンセサイザーでカバー、2ndアルバムではビートルズのDay tripperをカバーしている。このような、あえて生楽器を機械によってカバーする試みは、冨田勲が1974年に「月の光」でドビュッシーのピアノをシンセサイザーで再現したことが最初であるが、彼らはバンドによるグルーブ感を一切排除し、テクノロジーによって生音を無機質な音楽として再生産していた。だが徐々にコンピューターでリズムを研究し、シンコペーションやベロシティといった生音によるグルーブ感をテクノロジーで生み出し、代替するようになっていった。また東風や中国女といったアジアテイストの楽曲をテクノロジーによって演奏するという、ハイブリッドな存在であったため、海外でも高く評価されたのであろう。未来的な音楽観を世界に認識させたのはドイツのKRAFTWERK最初だと考えられるが、現代ほどグローバリゼーションが進んでいないに時代に、非欧米圏のアジア人が白人の彼らのようにテクノポップで海外でのライブを成功させられたことも、音楽の持つハイブリディティ性ならではであろう。
 また自ら「イエロー」と名前をつけてアジア人であることを強調した点だが、メンバーの細野晴臣は、白人音楽でも黒人音楽でもない自分たち独自の音楽を作り出そうとし、自らイエローと名前を冠したのだ。これは、当時音楽とは白人音楽(ロック)と黒人音楽(ジャズやブルース等)しかなく、その他ワールドミュージックと言われる世界中の音楽が認識されていなかった時代に、自らのアイデンティティを世界に示そうという野望があったと推測できる。
 つまりYMOは、日本人がテクノロジーを多用することで。音楽によってアイデンティティを確立しようとした最初期の例だと考えられる。またテクノミュージックをそれに選んだ理由は、テクノ=人間が演奏しなくてもいいという認識から、音楽には民族性や地域性といったものは関係ない(誰が作るかは問題ではない)というシニカルな意味も込められているのではないかと思う。
 私はYMOは作品によって3部に別れると考えている。1st「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」2nd「SOLID STATE SURVIVOR」が初期、3rd「BGM」4th「TECHNODELIC」が中期、5th「浮気な僕ら」6th「SERVICE」が後期である。(増殖は初期と中期を繋ぐと考える)初期はテクノ、中期は実験音楽、後期は歌謡曲というおおまかなジャンル分けができるような気がする。初期はかなり海外を意識し、日本らしい音楽を行なっていると思われるが、中期はメンバーそれぞれの個性のぶつかり合いという印象で、今聞いても全く色褪せない斬新さがある。川本君がブログにも書いていたが、インスタントに消費されない快楽というものがまさにそこには詰まっている。後期は「歌」に焦点が当てられており、かなりポップな仕上がりになっている。アイドル化された自分たちへの皮肉も込められているのだろうが、ここでは今までにはなかった「歌詞」に重きを置いているのも見て取れる。個人的には「浮気な僕ら」が一番好きなアルバムであるが、中でもYMO唯一の坂本、細野の共作である「Wild Ambitions」は是非聞いて欲しい一曲だ。

 HMOは2007年に発売された音声合成ソフト「初音ミク」を使用して、YMOの楽曲をカバーし、ニコニコ動画に投稿した作品のことを指す名称である。その投稿者の第一人者である「HMOとかの中の人。」は2009年に「初音ミクオーケストラ」というカバーアルバムを発売した。元々はコミケで売られていた自主制作音源であったが、YMOメンバーが直接許可を出し、アルバムとして発売されることになった。
 TMOはアニメ「けいおん!」の映像にYMOの楽曲を合わせて編集した動画であり、これもニコニコ動画に投稿されている作品である。基本的にはアニメの演奏シーンにYMOの音源を差し込み、音楽に合わせて映像を加工や編集しているのだが、アニメの内容をYMOに関連づけて編集してあり(U.T=うんたん、細野晴澪、写楽祭、散開ライブ等)、YMOを知らないけいおん!ファンがYMOに興味を持つようになり、けいおん!を知らないYMOファンがけいおん!に興味を持つようになるなど、相乗効果を生み出した動画である。
 これらはいわゆる素人の二次創作から出来上がった作品であるが、ジョン・フィスクは「ポピュラー文化は文化産業の生産物を使用してユーザーが作り上げていくものである」としている。そのユーザーの生産性は「記号論的生産性」「言明的生産性」「テクスト的生産性」の3つに分類されるが、その中でもHMOとTMOは「テクスト的生産性」に分類されると考えられる。YMOというひとつの文化をユーザーが受容した後に、初音ミクという音声合成ソフトやけいおん!の映像を使うことで再構築、再生産しているのだ。またその作品はニコニコ動画という少しギークな人たちのコミュニティ内でシェアされていて、このような例は他にも、アニメやCMなど映像をリミックスしたMADや、初音ミク等ユーザーが製作したオリジナルコンテンツや、自ら音楽を弾いて(コピー)した動画など数多く存在する。HMO、TMOはポピュラー音楽がユーザーによって利用され、新しいメディアとして定義し直され、それがサイバースペースで共有されている一つの例である。
 またマクルーハンは「テクノロジーは人間の身体の拡張である」としたが、今ではパソコン1台が自らの目となり、口となり、耳となり、手となり、足となり、さらには他のテクノロジーの代替にもなっている。このようなテクノロジーの発展により加工や編集が容易に行なえるようになったという背景もある。
 このことから消費者はYMOの楽曲やけいおん!のアニメをただ受容するだけではなく、意識的に読解し、それぞれが異なった楽しみ方をしていることがわかる。スチュアート・ホールはユーザーのメディア読解には「支配的コード」「交渉的コード」「対抗的コード」の3つのコードがあるとした。インターネットの発展により、Web2.0以降ソーシャルメディア等、サーバーを介さずにダイレクトにユーザー同士が繋がるネットワークが出来上がり、メディア読解の3つのコードのうちの交渉的コードの要素がより強まったため、消費者が能動的な表現者となりやすい環境が出来上がったと考えられる。
 以上のようにメディア論から分析すると、日本人としてのアイデンティティをテクノ音楽で確立しようとしたYMOが、テクノロジーの発展により、消費者によって新たな作品として(HMO、TMO)世に送り出されていることがわかる。そしてYMOが果たせなかった(これには考える余地があるが)世界的な日本人としてのアイデンティティ確立を、今や初音ミクというテクノロジーを素人が使うことで、二次創作物がCoolJapanという新たなアイデンティティ(文化)を作り出していると考えるとおもしろい。

YMO - Wild Ambitions
http://www.youtube.com/watch?v=l6bYJoGwIQc


HMO - 君に胸キュン
http://www.youtube.com/watch?v=-aGc85TZN3I

TMO - 散開ライブ
http://www.youtube.com/watch?v=ssNEuLc1fWQ


河原弘樹