サディスティック・ミカ・バンド「黒船」(1974)(河原弘樹)

 ロックとはカウンターカルチャーでありながら、その一方で享楽主義的な面も持ち合わせている矛盾したものだと私は考えているが、1970年代の日本のロックは、当時の流行であったフォークやアイドル歌手に反抗する若者の自由を訴える音楽であった。リスナーは今までに聴いたことのない音楽に驚喜し共感し感銘を受けていたが、70年代日本ロック黎明期のミュージシャン達の多くは海外のミュージシャンのコピーを行うことからバンドを結成し、「欧米に追いつけ」という側面が強く、良くも悪くもファッションも音楽性も海外の追随といった印象を受ける。
 しかしその中でもサディスティック・ミカ・バンドの音楽は、派手で艶やかでダンサブルなグラムロックだった。彼らの音楽はポップで、雑多で、享楽的ながらも、どこか品格の良さを感じさせる。欧米のロックに追いつこうとしながら、社会的にまだロックを受け入れる土壌が出来ていないもどかしさを感じていた当時の日本ロックを横目に、楽しくやろうぜという気軽な痛快さが、サディスティック・ミカ・バンドのロックにはあった。他のバンドを尻目にイギリスで好意的に受け入れられ、ロキシー・ミュージックのツアーの前座にも抜擢され、NMEの表紙を飾るほど人気を獲得していたのも、どこかこのバンドが感じさせる余裕さのせいかもしれない。
 1974年にクリス・トーマスプロデュースで発売されたこの「黒船」は江戸風情(外国人が好むエキゾチックジャパン)な日本テイストをファンクやフュージョンプログレなど当時先端なサウンドで表現している。この独自の和洋折衷なサウンドや日本の四季や風情を綴った歌詞など、これ以降の日本の音楽に大きな功績を残したのは間違いない。日本らしいロックを誕生させたはっぴぃえんどが空間のロックだとすると、対照的にサディスティック・ミカ・バンドは密なロックである。
 ここで聴かれるべきはギターとベースとドラムが生み出すグルーヴ感であろう。高中正義のギターは言わずもがな、特に高橋幸宏のドラムは攻撃的で弾けていながらも、正確に複雑なリズムを刻み、時々トリッキーでもある。後に機械のように正確で無機質なドラムを叩いていたYMO時と全く異なるベクトルのグルーヴ感溢れるドラミングは、後のpupaでも表現したはなやかさや切なさといった良い意味での人間臭さを感じさせる。
(河原弘樹)


塀までひとっとび 郡山ワンステップフェスティバル

想像のアメリカその2(粟谷佳司)

 アメリカはカナダからのトランジットで立ち寄ったのだが、映画や音楽における表現文化から知るアメリカは、特に音楽では、ベルベット・アンダーグラウンドスティーブ・アルビニがプロデュースするノイズであるとか、初期VUをプロデュースしていたアンディ・ウォーホルの描く世界もつながってる、そういう加工された異質なものとしてのアメリカなのである。ここで、「加工craft」をプラスティックな「人工物」であると単純化するのではなく、人々の息吹も感じながら加工されていく過程としての世界と捉えたい*1大塚英志が指摘する、江藤淳がこだわっていた「つるっとしたもの」というような感覚的な表現に近いアメリ*2
 ここで、アメリカとカナダの関係から加工されるアメリカの側面を考えてみたい。
 テレビで放送された9.11のチャリティ番組で「ゴッド・ブレス・アメリカ」を歌うセリーヌ・ディオン。これはアメリカ国民に向けて歌われたものである。映画『タイタニック』で主題歌も歌っているディオンだが、しかし、彼女はもともとカナダのケベック州の出身なのである*3。ぼくが学んだIoan Davies先生のもとで学んだトロントのメディア学者、ジョディー・バーランド(ヨーク大学准教授)は、「私たちはアメリカにアーティストを輸出しアメリカから番組表を輸入する」とカナダの状況を分析していたが、アメリカはまさにこのような異邦のものまで自らのものにし、純化していく文化、政治の力学によって常に終わりなく働く機械のようである*4。それは、まるで白人が黒人からロックという音楽を盗む過程における軋轢を折衝、収斂しながら初期ロックンロールに節合していくダイナミズムのように。われわれは、かつてアドルノアメリカ文化に対して放った警告をもう一度問い直す必要があるのかもしれない*5
(粟谷佳司)(本稿は粟谷の次の著書の一部になる予定です)

Celine Dion - God Bless America (Tribute To Heroes)

*1:だからボードリヤールがすっきり分析してみせたシミュラークルであるとは必ずしもいえない「アメリカ」があるのだ。

*2:たとえば『ツイン・ピークス』のようなヴェルヴェットの肌触り。

*3:ちなみにジェームズ・キャメロンもカナダの出身。

*4:この機械についてはドゥルーズ=ガタリの議論を参照したいと考えているが、詳しくは稿を改めたい。

*5:アドルノについては拙著『音楽空間の社会学』を参照してほしい。

The Avalanches『Since I Left You』(2001)(川本 賢)


The Avalanches『Since I Left You』(2001)
 900以上のサンプルネタを自らの想像力をもって再構築したこのアルバムは、まるで少年の純粋な“夢の中”を表しているかのようだ。フリッパーズ・ギターの『ヘッド博士の世界塔』の例を挙げるまでもなく、サンプリングを基にしたアルバムは“夢”を感じさせるものが多い。
 私は“夢”とは過去の集積によって表れるものではないかと思っている。つまり、ポピュラー音楽で“夢”を描きたいのであれば、過去の音楽を引用して描くことがそれに最も近くなるように思う。このアルバムは、そのようなサンプリングを駆使したドリーム・ポップの頂点に位置する一枚であることに間違いない。
 僕にとっての最高の夢は、初夏の風が心地よくなびく浜辺で、過去の楽しかった思い出に浸ることだ。1曲目の“Since I Left You”は、それを完ぺきに描き切っている。
(川本 賢)

岡林信康(粟谷佳司)

あんぐら音楽祭 岡林信康リサイタル(紙ジャケット仕様)
あんぐら音楽祭 岡林信康リサイタル(紙ジャケット仕様)
 同志社大学出身者である岡林信康同志社出身では中川五郎はしだのりひこと並んで関西フォークの立役者の一人である。
 ここで聴ける「アメリカちゃん」。これは替え歌の実践として言及されながら、これまでCD化されてこなかったので幻の曲だった。当時のフォークは、替え歌がひとつのキーワードになる。
 これが現在聴けるのは奇跡に近い。URCの復刻で岡林のところだけカットされていて、ちょっと不満だったのだ。

岡林信康 この男は滋賀県近江八幡で生を受け

で始まるMC。同志社大学神学部、ボクシング部、山谷。

 ここでの岡林の声は澄んでいる。「友よ」でカウントをとるのに「ワンツー」ではなく「さん、し」というところは、歌詞を(英語ではなく)日本語で歌うということ、つまり日本語のコミュニケーションをどのように考えているのかが表れていると思う。これは彼の著書でも書かれている。

 岡林の関西弁のMCとか歌と語りがミックスされたライブは演芸に通じるところがある。『狂い咲き』を聴いたときに、当時は関西という地域性と音楽が見事に合致していたことが発見できてフォークの奥の深さを感じたのだった。高石友也の声もいい。「We Shall Over Come」。
(粟谷佳司)

Justify My Love Madonna(粟谷佳司)

Justify My Love
Madonna

Justify My Love

Album Description
This 1990 Hit was Produced and Co-written by Lenny Kravitz. Includes a William Orbit Remix plus "Express Yourself" from the 1989 LP "Like a Prayer".

マドンナのシングルを聴く。
マドンナは『ヒストリー・オブ・ロックンロール』の中で、イーノから否定的に言及されていたが、曲として悪いとは思わない。
マドンナのシングルはリミックスもいい。
(粟谷佳司)